大判例

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東京高等裁判所 平成3年(ネ)2335号 判決

控訴人

真下政秋

右訴訟代理人弁護士

土谷明

被控訴人

東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

五十嵐庸晏

右訴訟代理人弁護士

田中登

加藤文郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  控訴人

原判決を取消す。

被控訴人は控訴人に対し金三六〇万円及びこれに対する平成元年四月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

仮執行の宣言

二  被控訴人

主文第一項同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  訴外真下政治は昭和六三年九月七日、被控訴人との間で、自己所有の建物及び家財について保険金額を一二〇〇万円とする住宅火災保険契約を締結した。

2  右建物は平成元年三月一二日午後三時一七分ころ火災により全焼した。

3  本件住宅火災保険契約の普通保険約款中には、火災によって建物が損害を受けた場合において、被保険者又はその親族若しくは使用人が火災の直接の結果として被害の日から一八〇日以内に死亡したときは、保険金額の三〇パーセントに当たる金額を傷害費用保険金として支払う旨の規定がある。

4  政治は、本件火災の直後から入院し、入院中の平成元年四月一〇日に死亡した。

5  本件火災の際の状況は次のとおりである。

(一) 政治は昭和六〇年六月二五日転んで背骨を骨折して入院し、一旦退院した後リハビリ専門の病院に入院し、昭和六一年三月末日に退院した後は自宅で一か月に一度の割合で医師の往診を受け、パーキンソン病の薬を服用していたが、本件火災当時はほとんど寝たきりの状態で妻のフミによる介護を受けていた。

(二) 当日フミは政治を居室である六畳の和室に寝かせて日光浴をさせ、ガスストーブに点火していた。午後三時一七分ころ台所にいた際、廊下の中仕切りカーテンに火がついて燃えているのに気がつき、水道の水をボールに汲もうとしたが、水の出方がもどかしいので止め、消防署に電話しようとしたが、うまく通じないので、門の外に出て人を呼んだ。その間一〇分ないし一五分が経過したが、フミは部屋に入り、右和室の縁側近くに頭を東向きに顔をやや北向きにして横たわっていた政治に「お父さん火事です。外に出ましょう。」と言って、政治の首の下に手を差し入れた。しかし、部屋の前の庭は、庭石や石畳、煉瓦があり、地面が剥き出しになっているため、そのまま置くと怪我をする恐れがあると思い、とっさに縁側に干してあった敷布団を庭の地面の上に落とした。そして、フミは政治の首の下に右手を差し入れ、左手は浴衣、長袖のシャツをつかんで縁側の縁まで引きずって動かし、地面に引きずり降ろすように落とした。縁側は高さが六〇センチメートル以上あり、フミは政治の体重を支えるだけの力がないので、政治を地面に頭から先に落とす形になった。そこから更に引きずって布団の所まで動かし、布団の上に頭を西に向けて置いた。この時点で発火後約二〇分を経過していた。そのころ近所の風呂屋の従業員らが来て政治を雨戸のようなものに乗せ、風呂屋の庭まで移動した。三〇分以上経ったころ救急車が来て、政治は薄病院に運ばれ、五時過ぎに同病院に到着した。

(三) 縁側のすぐ前の庭の部分には直径九〇センチメートル程度の庭石、花壇用の煉瓦十数個、長方形のコンクリート製の石畳数枚、庭用の水道のためのタイル張りの桝があるほか、庭に出るときに使う高さ三〇センチメートル程度のコンクリート製の石段があり、政治が引きずられて移動させられた際に、これらのもののいずれかにぶつかるなどして、身体に何らかの損傷を受けた可能性がある。また、布団の上から外の通路に出る経路には、右の庭石、庭木、石畳、別の庭石数個、片方の幅九〇センチメートル程度の門扉(片側はいつもは固定されていて開かないようになっている。)があり、これらの間を通過する際に政治の身体がそのいずれかにぶつかった可能性がある。また、雨戸のようなものが政治の身体を担架のように完全に保護しつつ運搬できるものでなかった場合は、特にその可能性が考えられる。

(四) 発火当時、政治は頭を東にして家の内側に向いて横たわっていたが、身動きがやっとできて、歩行や起立が自分の力のみではできない状態で、すぐそばで廊下の障子に火が燃え移るのを見ていた。また庭に降ろされてから風呂屋の庭に運ばれるまでの間も同様の状態でおり、すぐそばで火が猛然と燃え立って、家が倒れるかもしれないような状態で恐怖の極にあったと思われる。風呂屋の庭に避難したときは、火は屋根を抜けて黒い煙と赤い炎が空に大きく立ちのぼっていた。政治はその様子を風呂屋の庭に横たわらされて見つめていた。一家の主人として、政治は突然の災害に相当の衝撃を受けたものと思われる。

6  政治の死亡に至る経緯は次のとおりである。

政治は本件火災の日である平成元年三月一二日薄病院に入院した直後は元気そうであったが、三日目ころから急激に食欲がなくなり、病院の配食も大部分を残すようになった。

排尿は、最初は透明で薄い色のものを一日に一五〇〇ミリリットル(以下「ml」と表記する。)ほどしていたが、一週間ほどしてから一日に一二〇〇mlになり、その後尿量は一日ごとに少なくなり、二週間後のころには血尿が出るようになり、それも次第に減少し、留置カテーテル法によるチューブにつながっているビニール袋に五〇mlばかりしか溜まっていない日もあった。

三月二七日に危篤状態になり、点滴及び酸素吸入を行ったが、その後は衰弱する一方で、配食の流動食もほとんど受け付けなくなった。

三月三一日には血尿が管を通っているが、排尿はなく、四月一日も尿は全然出ず、体に浮腫が出た。四月二日は血尿もほとんど出ず、三ml位が袋の底に溜まっている程度であった。四月七日の夕刻には眼が少し白濁し始め、足はむくんでいた。そして四月一〇日に死亡した。

7  政治の死亡の原因は圧挫症候群である。

(一) 圧挫症候群

圧挫症候群は、法医学上の死因のうちの損傷死の一つである。

圧挫症候群は、外表上に損傷として著明なものが見られないのに筋組織の挫滅や出血があり、時間経過に伴って蛋白分解産物が吸収された結果としてミオグロビン尿症や無尿症等のショック症状を来して死亡するに至る。すなわち、死因となる大量出血が認められず、皮下結合織や筋肉組織に広範な組織の圧挫が認められる場合、この損傷局所から発生した蛋白分解産物、ことにヘモグロビンやミオグロビンから発生した遊離物質により自家中毒症を来して死亡するとされている。

圧挫症候群によりショック死を起こす場合は、自家中毒症が基本になっているため、大量出血の場合とは異なり、二、三日たって著明なショック症状を現し、腎機能障害が著明となり、尿は黄褐色から赤色を呈し、ついには乏尿から無尿に変化して行く。

圧挫症候群の一般的、典型的な症状は、血尿、乏尿、無尿及び浮腫である。乏尿期は数時間から数週、平均一〇日である。発生ショック直後からのこともあれば、一週間位たってからのこともある。

乏尿期に死亡するものが多いが、死亡例の二五パーセントは乏尿期に次ぐ利尿期に見られる。患者は比較的突然に死亡する。

(二) 政治の症状

(1) 政治は、事故後四日おいた三月一五日に一二〇〇mlを記録した後、日々尿産生が減少する急激な尿産生の低下傾向を開始し、三月二四日に尿産生が無尿になり、同時期に血尿となった。収縮期血圧も何回か一〇〇以下を記録した。

(2) 政治におけるショック及びその持続時間

政治は、三月二四日以降、(イ)二四時間以上にわたって存在すると尿細管細胞の混濁腫張、変性、壊死を来し機能的腎不全を残すとされ、放置されれば二四時間から四八時間以内に死亡するか重大な合併症を来すと考えられるショック及びショック類似症候群に見られる異常理学的所見値である一日当たり尿産生七二〇ml以下の状態を四月二日まで一〇日間、(ロ)ショックの指標として挙げられている重要な臨床検査と症状でありこの所見が存在するとショックの疑いが濃厚とされる一日当たり尿産生六〇〇ml以下の状態を八日間、(ハ)五日間続くと尿毒症の症状を生ずるとされる一日当たり尿産生四〇〇ml以下の状態を五日間持続した。

(3) 政治における圧挫症候群の一般的、典型的症状

圧挫症候群の一般的、典型的症状である乏尿、無尿、血尿の症状については、政治の場合、その発症時期、発症期間、全期間に対する割合、消滅時期、血尿との関係は、バイウォーター及び尾崎豊が報告した圧挫症候群で死亡した例のうち利尿期に死亡した例に正確に重なっている。

① 乏尿、無尿

政治の場合、前記のように、七二〇ml以下の期間は一〇日間、六〇〇ml以下の期間は八日間、四〇〇ml以下の期間は五日間で、これらの期間すべてにおいて、バイウォーターの死亡例の平均日数に比較して一日ないし数日長くその期間にさらされている。乏尿期間の平均尿産生は二四〇mlで、利尿期に死亡した例の平均尿産生の二一一mlに近い値となっている。尿産生異常値は三〇九〇mlで、バイウォーターが報告した死亡例のうち三例よりも重篤で、六例の平均三二一三mlに近い値となっている。

② 血尿

発症時期は一四日目、消滅時期は二三日目、血尿期間は九日間であり、発症時期、消滅時期ともにバイウォーターが報告した例と全く同様に、乏尿の発症、消滅時期と正確に重なっている。また血尿期間の全期間に対する割合は三〇パーセントで、バイウォーターの例の平均三一パーセントと全く等しいに近い値を示している。

一般的に利尿期に死亡する場合、尿量が最低を記録する当日ないしその前後の日に血尿が発症し、血尿は乏尿の消滅と同時に消滅する現象が認められるが、政治はこの現象ないしパターンを正確に倣っている。

(4) その他の症状

政治は乏尿、無尿、血尿以外の圧挫症候群に見られる症状である浮腫を明確に示した。

(三) 政治の死因

政治は三月二四日に無尿となると同時に、同日以降ショックに基づく致死的な腎不全が見られるショックの持続時間が一〇時間を超え、放置されれば二四時間から四八時間以内に死亡するか重大な合併症を来すと考えられる一日当たり尿産生七二〇ml以下の状態、ショックの指標として挙げられている一日当たり尿産生六〇〇ml以下の状態、尿毒症の症状が生じる一日当たり尿産生四〇〇ml以下の状態がそれぞれ一〇日間、八日間、五日間持続したことにより、腎臓のショックによる病変が非可逆的となり、結局その腎臓の致命的な障害のために死を免れ得なくなったものである。

すなわち、政治は事故の際の損傷局所から発生した遊離物質により自家中毒症を起こし、ショック症状を来して死亡したものであり、その死因は法医学上の損傷死の一つである圧挫症候群である。

このことは、政治の尿産生曲線が利尿期に死亡した圧挫症候群のものと全く同様の急激な、下に凸の一峰性の波形を描いていることからも明らかである。

しかも、政治の尿産生曲線の値は、利尿期に死亡した圧挫症候群のものよりはるかに重篤な尿産生値を示した。

8  政治は、以上のとおり本件火災の直接の結果として死亡したものであるから、前記3の約款の定めによる傷害費用保険金として保険金額の三〇パーセントに当たる三六〇万円の請求権を取得した。

9  政治の相続人は、妻フミ及び子である堀内厚子と控訴人とであるが、被控訴人に対する保険金請求権は控訴人が相続した。

10  よって、控訴人は被控訴人に対し金三六〇万円及びこれに対する政治が死亡した日の翌日である平成元年四月一一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1ないし4は認める。

2  同5、6は不知。

3  同7、8は争う。

4  同9は不知。

三  被控訴人の反論

1  圧挫症候群は、筋組織の圧潰挫滅により溶出したミオグロビン等が腎臓の下位尿細管に障害を与えこれを壊死させるために起きるものであり、その実態は外傷による急性腎不全である。症状としては、初めにショック症状(顔面蒼白、冷汗、体温及び血圧低下等)があり、嘔気嘔吐や乏尿、無尿を伴い、人工透析を行わないと予後は極めて不良で、大部分の患者は二週間以内に死亡するとされている。

急性腎不全の概念は非常に広く、乏尿、無尿等、排尿障害を主たる症状とする症例一般を意味し、圧挫症候群はその中の一つの症例にすぎない。近年圧挫症候群を引き起こすような外傷が必ずしも多くないこと、初期の段階で輸液、利尿等有効な治療方法が採られ、透析装置の普及により末期症状の尿毒症にまで至る例が少なく、また抗生物質等により感染症に対する有効な防禦が可能となり、重い合併症が減少したこと等の理由により、圧挫症候群で死亡する例はほとんど見られなくなっており、現在では稀な症候である。

ミオグロビン等は、たとい血中に溶出しても通常は尿から排泄されてしまい、多量でなければ尿細管に重い障害を与えるまでには至らない。すなわち、大きな筋組織(一般的には下肢、殊に大腿部の筋肉)の広範囲かつ重い圧潰挫滅によって多量のミオグロビン等が血中に溶出した場合に初めて、圧挫症候群としての急性腎不全を引き起こす可能性が出て来るのである。したがって、大きな筋組織の広範囲かつ重い圧潰挫滅後の乏尿、無尿等、急性腎不全の症状から圧挫症候群の可能性を想定することは正しいが、逆に乏尿、無尿等急性腎不全の症状から直ちに圧挫症候群を想定することは相当でない。

2  政治は、明治四二年生まれで、本件火災当時パーキンソン病等に罹患し痴呆症状のある寝たきり老人であった。薄病院に搬送された際の診察では、興奮状態にあり、落ち着きはなかったが、火傷その他の、熱や煙による障害がなかったのはもちろん、明らかな外傷は認められず、血圧にも異状はなく、既往疾患を除き緊急に治療を必要とする症状所見はなかったが、相当高度な栄養性貧血、低蛋白血症、栄養失調、痴呆等があった。

入院後は、水分及び栄養補給を中心とした治療が行われ、しばらく一般状態に特別の変化はなかったが、三月二六、二七日には急性肺炎にかかり心不全も生じて危篤状態になったが、このときは無事に回復し、四月四日には抗生物質投与も必要がなくなった。四月五日には食べ物を詰まらせて呼吸困難になったが、吸引により回復し、四月六日には薄医師はカルテに「stable(安定)」と記載している。同日以降四月八日までは一般的状態に特別の変化はなかったが、四月九日体温の若干の上昇及び喀痰の吸引があり、四月一〇日早朝呼吸停止している状態で付添人に発見され、当直医が人工呼吸したが蘇生せず、同日五時死亡と診断された。

政治のように、一般健康状態の悪い高齢者の場合、飲食物等による嚥下性肺炎に罹患し、その結果として心不全を起こしたり、喀痰等の分泌物で呼吸不全を起こしたり、特別の事由がなくとも、いわば老衰現象として突然心不全を起こして死亡することがあり、その死因を特定することが困難な場合が多く、政治の場合も同様のことがいえる。

しかし、政治の本件火災以後の症状の推移並びに死亡直前の状態からすると、蓋然性のある死因としては、嚥下性肺炎その他右に述べた程度の範囲に限定されるから、本件火災と同人の死亡との間に医学的な因果関係が成立するとは到底考えられない。

3  政治が圧挫症候群によって死亡したとする控訴人の主張は、以下のように根拠がない。

(一) 政治の尿量とバイウォーター論文のケースの尿量のパターンとは正確に一致するものではないし、乏尿、無尿から直ちに腎性の急性腎不全の一つである圧挫症候群を想定することは不相当である。

(二) 控訴人主張の政治の尿量は不正確であり、また乏尿があったからといってそれが圧挫症候群としての急性腎不全に基づくとの証拠は見当たらない。

(三) 政治の血尿は尿路に置かれた導管が尿路を損傷しての結果である可能性が高く、直ちに腎性の腎臓障害の懲候であるとすることはできない。

(四) 尿量日量七二〇ml以下が一〇日以上あるとの点も、右尿量はいわば警戒線であって、直ちに生命に危険を及ぼす尿毒症の発生を意味するものではない。

(五) 政治が大腿部その他体幹部に外傷を負ったとの証拠はない。薄病院搬送の際明らかな外傷はないとされており、死亡までの約三〇日間、医師による診療、看護婦による褥瘡の処置及び付添婦や家族による清拭着替え等の介護が行われていたから、その間に圧挫症候群を引き起こす外傷が看過される可能性があったとは考えられない。

(六) 以上のほか、政治には圧挫症候群の他の特徴である当初のショック症状や嘔気嘔吐があった形跡がない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因一ないし四の事実は当事者間に争いがない。

右事実によると、本件住宅火災保険契約の普通保険約款中控訴人主張の定めのうち、火災によって建物が損害を受けたこと、被保険者である政治が被害の日から一八〇日以内に死亡したことは明らかである。したがって、本件の争点は、政治の死亡が、同規定にいう火災の直接の結果として死亡したときに当たるかどうかである。そして控訴人は、寝たきりであった政治が火災現場から搬出される際に身体を庭石等にぶつけて筋組織を挫滅し、損傷局所から発生した遊離物質により自家中毒症を起こし、ショック症状を来して死亡したものであり、死因は、法医学上の損傷死の一つである圧挫症候群であると主張する。

二そこで、まず火災発生の状況から政治の死亡に至るまでの経緯について判断する。

〈書証番号略〉及び原審における証人真下フミ、同薄修浄の各証言並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。

1  政治は明治四二年五月五日生まれで、本件火災発生当時満七九歳であった。

政治は昭和六〇年六月ころ転んで脊椎を骨折して入院し、一旦退院した後リハビリテーション専門の病院に昭和六一年三月末日まで入院し、その後は自宅で一か月に一度の割合で医師の往診を受け、パーキンソン病の薬を服用していたが、本件火災当時は独力で歩くことはできず、ほとんど寝たきりの状態で妻のフミによる介護を受けていた。

2  平成元年三月一二日、フミは政治を南向きの六畳の和室の縁側近くに寝かせて日光浴をさせ、廊下にガスストーブを置き火をつけていた。午後三時一七分ころフミは台所にいて廊下のカーテンが燃えているのに気がつき、水道の水をかけようとしたり、消防署に電話をしようとしたが、いずれも途中で止め、外に出て人を呼んだ。それからフミは部屋に戻ったが、その間政治は声を立てず、表情もほとんど変えず、じっと横になったままであった。フミは政治に「お父さん火事ですよ。外に出ましょう。」と言って、政治の首の下に手を入れる様にして縁側から庭の方に引きずり出した。しかし、縁側の下には石段があり、庭にはコンクリート製の庭石等があるため、そのまま引きずり降ろすと怪我をする恐れがあると思い、とっさに縁側に干してあった敷布団を庭に落とし、政治を頭から先に引きずり落とすようにして降ろし、そこから更に布団の所まで引きずって行き、布団の上に置いた。そこは家から約一間(1.8メートル)離れた所であった。そのころ近所の風呂屋の従業員らが来て政治を雨戸のようなものに乗せ、風呂屋の庭まで移動した。火災発生後三〇分以上経ったころ救急車が来て、政治を午後五時過ぎに薄病院に搬送し、政治はそのまま入院した。

3  入院した後、政治は体に触るだけで興奮するなど落ち着きがなく、興奮状態にあったが、明らかな外傷はなく、血圧にも異状はなかった。しかし、栄養失調で痴呆があると診断され、また貧血と低蛋白血症もあるため、点滴による水分補給と栄養補給を中心とした治療が施された。

一般状態に特別の変化はなかったが(ただし、三月二四日以降尿の状態に後記のように変化が生じた。)、三月二七日早朝に呼吸状態が急変してチェーンストック呼吸(下顎呼吸)となり、発熱し、心不全も生じ、急性肺炎と診断された。強心剤の注射、酸素吸入、喀痰の吸引を行い抗生物質を投与したところ、回復し、四月四日には抗生物質投与の必要もなくなった。四月五日には食べ物を気道に詰まらせて呼吸困難になったが、吸引により回復し、四月六日には薄医師はカルテに「Stable(安定)」と記載している。その後一般的状態に特別の変化はなかったが、四月八日から九日にかけて体温が若干上昇し、喀痰の吸引を二回行った。四月一〇日早朝、呼吸停止している状態で付添人に発見され、当直医が人工呼吸したが蘇生せず、同日午前五時死亡と診断された。

薄医師は平成元年四月一八日付の死亡診断書に死亡の原因を急性肺炎を原因とする心不全と記載している。

三次に、圧挫症候群についてみることとする。

〈書証番号略〉によると、圧挫症候群は挫滅症候群ともいわれ、皮下結合織や筋組織の圧潰又は挫滅があり、短時日(多くは二週間以内)に大部分が死亡する症候群をいうものとされていること、圧潰された筋組織から遊離したミオグロビンが腎の下位尿細管に障害を与え腎機能不全に陥ると考えられて来たこと、現在では急性の腎障害(tubular necrosis)を惹起する諸疾患や病的状態も含めていること、原因として、ミオグロビン、ヘモグロビンの溶出を来したり、急性循環障害を起こすものが考えられるが、未解決であるとされ、例えば、分娩時の骨盤筋挫滅、ガス壊疽における広範な筋破壊、電気による強い筋障害、筋肉を高度に消耗させるジョッギング、マラソン、飢餓や消耗性疾患、CO中毒による筋障害、熱傷などが原因として考えられるとされていること、症候は、初めにショック症状があり、嘔気、嘔吐を来し、急激な乏尿さらに無尿となること(尿閉を挙げる文献もある。)、初期には輸液、乏尿期には透析療法を用いるが、透析を行わないと予後はきわめて不良で、二週間以内に大部分の患者は死亡するとされていること、ミオグロビンは、正常な筋組織中にあるときは被包された状態にあって容易に流血中に流れ出すことがないが、生体に打撲を加える等異常な状態に置くと、血液中に出て抗体を産生させ生体に種々の障害を与えること、躯幹を打たれてミオグロビン尿が発症した例が報告されていること、人間をひどく殴る、あるいは長時間緊縛ないし緊扼した後解除すると、その後ある時間を経過して症状が悪化して死亡する例が見られること、運動のような場合でも程度を越せば血中に筋肉色素ミオグロビンが遊離してくることがあることが認められる。

したがって、圧挫症候群は、十分に解明されていないところがあり、また例外もないわけではないが、皮下結合織や筋組織の圧潰又は挫滅があること、ミオグロビン尿の発症があること、初めにショック症状があり、嘔気、嘔吐を来すこと、急激な乏尿さらに無尿となること等が主な特徴であると考えられる。そこで、政治についてこれらの特徴が見られるかどうかについて検討する。

四筋組織の圧潰又は挫滅についてみると、薄病院に搬送された際、同人に明らかな外傷がなかったことは前記認定のとおりである。その他、政治が大腿部等の体幹部に外傷を負ったことを認めるに足りる証拠はない。筋組織に圧潰又は挫滅を生じさせるほどの外力が加えられたとすれば、政治の身体の表面にそれをうかがわせる何らかの所見があるのが普通であると考えられるが、診療録、看護記録(〈書証番号略〉)にはそのような所見の記載はない。政治は、死亡までの約三〇日間入院していたから、医師による診療、看護婦になる褥瘡の処置、付添婦や家族による清拭、着替え等の介護を受けていたとみられるが、その間に圧挫症候群を引き起こすほどの外傷等があれば、その所見が看過される可能性があったとは考えられない。

控訴人は、政治の家の庭に庭石、花壇用の煉瓦、コンクリート製の石畳、水道用のタイル張りの桝、コンクリート製の石段があり、また外の通路に出る経路に庭石、庭木、石畳、片方の幅九〇センチメートル程度の門扉があることから、政治が引きずられて移動させられ、これらの間を通過する際に、そのいずれかにぶつかるなどして、身体に何らかの損傷を受けた可能性があり、また雨戸のようなものが政治の身体を担架のように完全に保護しつつ運搬できるものでなかった場合は、特にその可能性が考えられると主張する。しかし、原審における証人真下フミの証言によれば、同人は政治を縁側から庭まで引きずって行った際どこかにぶつけたかどうかはっきり記憶しておらず、自分は小柄で政治は大柄な人だったので、石段を降ろすときに政治の腰が下の石にぶつかったと思う、また石の上を引きずったからあちこち痛かっただろうと思うと、推測を述べているにすぎない。フミが大正二年一二月一二日生まれであることは記録上明らかであり、このような老齢の女性が大柄な寝たままの男性の身体を縁側から庭に引きずり降ろし、さらに石畳等のある庭を二メートル近く引きずる場合には、その身体を十分に支えて保護することは困難であるから、ある程度衝撃を受けることは避けられないと考えられ、したがって、右の推測も全く根拠のないものとはいえないが、少なくとも前記認定の事実関係及び右証言からは、政治が筋の圧潰又は挫滅を生ずるほどの強い打撃ないし圧力を加えられた事実を認めることはできない。そうすると、右主張は事実に基づかない憶測というほかなく、採用することができない。

控訴人は、圧挫症候群は筋肉に強い外力が加えられることにより生ずるもので、必ずしも身体の外表に表れるものではないと主張する。確かに圧挫症候群は必ずしも外傷を伴うものでないことは文献等からもうかがわれるところであるが、政治については、身体の表面に外傷等の所見がないだけでなく、さきにみた本件事故の際の状況からして、筋の圧潰又は挫滅をもたらすほどの強い外力が加えられたことさえその可能性がきわめて少ないと考えられるのであって、圧挫症候群を当然に疑うべき場合であったとは認められない。

五ミオグロビン尿の発症については、〈書証番号略〉によると、診療録、看護記録には何ら記載のないことが認められる。なお〈書証番号略〉には、血尿のほか血液様流出、尿に血液混入等があったことの記載があることが認められるから、その色は、尿がミオグロビンによって着色されて呈する赤褐色に近いものであったと推測することもできるが、それ以上にミオグロビン尿発症の事実及びその量を確定するに足りる証拠はない。

六ショック症状等についてみると、政治が薄病院に搬送された際の診察では、興奮状態にあり、落ち着きはなかったが、血圧に異状がなかったことはさきに認定したとおりである。またショック症状を呈しあるいは嘔気、嘔吐をもよおしたことを認めるに足りる証拠はない。

七尿の状態について検討する。

1  政治の尿量の変化等については、〈書証番号略〉(看護記録)により以下のように認められる。

(一)  事故の当日である三月一二日及びその翌日の尿量は証拠上明らかでない(控訴人は、最初は一日一五〇〇mlほどであったと主張するが、そのような事実を認めるに足りる証拠はない。)。

(二)  三月一四日から三月二三日までは概ね減少気味ながら一二〇〇mlと八〇〇mlとの間を上下していた(ただし二一日は六〇〇ml。また一六日は看護記録に記載がないので不明である。)。

(三)  三月二四日に四〇〇mlと急激に減少し、以後四月二日までの一〇日間、六〇〇mlと一〇〇mlとの間を上下し、そのうち四〇〇ml以下の日は七日を数えた(控訴人は、三月二四日に無尿となり、また四月一日は尿は全然出なかったと主張するが、そのような事実を認めるに足りる証拠はない。)。その間、三月二三日の夜一八号のバルーンカテーテルを挿入したが、排尿がないため三月二五日の朝再度挿入したところ血液のみが出た(なお、同日中にバルーンカテーテルを一四号のものに変えたが、尿の流出はなく、ウエスタンパック装置に変更した。)。血尿は三月二六日には薄くなったが、四月三日まで続いており、尿量が急激に減少したのとほぼ時期を同じくしている。

(四)  そして、四月三日に二四〇〇ml、四日に一一〇〇ml、五日に一二〇〇ml、六日に八〇〇ml、七日に六五〇mlと推移した。

(五)  四月八日以降四月一〇日の死亡時までの尿量は看護記録に記載がないため不明である。

2  右事実によると、政治は事故後死亡に至るまで尿量が概ね一二〇〇ml以下であったこと、特に事故の一二日後である三月二四日以降は、尿量が六〇〇ml以下の日が連続して一〇日間(そのうち四〇〇ml以下の日が七日)あり、ほかに六五〇mlの日が一日あったこと、また血尿が事故の一三日後に出て一〇日間続いたこと、そして死亡の七日前から五日前までの三日間は尿量が一一〇〇ml以上に回復したことが明らかである。したがって、政治の死に至る経過を尿の状態に着目して要約すると、事故の一二日後から尿量が急激に減少し、その状態が一〇日間続き、ほぼ同期間血尿も出たが、死亡の七日前には尿量は一旦回復していたということができる。

3  ところで、〈書証番号略〉によると、ショックによる急性腎不全の症状として、ショック発生直後あるいは約一週間経過後数時間から数週間、平均一〇日間の乏尿期があること、乏尿期の平均尿量は一五〇mlであること、急性腎不全では乏尿期に死亡する例が多いが利尿期に死亡する例もある(一般的には全死亡例の二五パーセントといわれている。)ことが認められる。そうすると、政治はショックによる急性腎不全の場合と似た傾向を示したということができる。

しかし、右〈書証番号略〉によれば、乏尿の発症及び利尿期における死亡は、急性腎不全一般に見られる症状であって、必ずしもショックによる腎不全に特有の症状ではないことが認められる。したがって、政治について、前記のように乏尿とみられる症状が続き一旦尿量が回復した後に死亡したことから、急性腎不全の発症を疑うことは一応相当な理由があるといえるにしても、急性腎不全の原因をショックによるものとし、更にこれを圧挫症候群に結び付けることは必ずしも根拠のあるものとはいえない。

4  控訴人は、政治の場合、三月二四日以降ショックに基づく致死的な腎不全が見られるショックの持続時間が一〇時間を超え、放置されれば二四時間から四八時間以内に死亡するか重大な合併症を来すと考えられる一日当たり尿産生七二〇ml以下の状態が一〇日間、ショックの指標として挙げられている一日当たり尿産生六〇〇ml以下の状態が八日間、尿毒症の症状が生じる一日当たり尿産生四〇〇ml以下の状態が五日間持続したことにより、腎臓のショックによる病変が非可逆的となり、結局その腎臓の致命的な障害のために死を免れ得なくなったものであると主張する。そして、〈書証番号略〉によると、乏尿の状態がこのような程度に至ると重篤な急性腎不全を来し尿毒症を引き起こすものであることがうかがわれる。しかし、そのことから直ちに政治の死亡の原因を圧挫症候群に結び付けることはできない。圧挫症候群に特徴的な筋の圧潰又は挫滅ないしその原因になる強い外力が加えられたことが認められないからである。

5  控訴人は、政治の場合、圧挫症候群の一般的、典型的症状である乏尿、無尿、血尿の発症時期、発症期間、全期間に対する割合、消滅時期等において、バイウォーター及び尾崎豊が報告した圧挫症候群で死亡した例のうち利尿期に死亡した例と正確に重なっていると主張する。

(一)  バイウォーターの例とは、〈書証番号略〉によると、一九四一年に英国においてバイウォーターらにより発表されたもので、空襲による被害者で上下肢の挫傷損傷を受けた六つのケースの臨床過程が全般的に似ていることから特別の症候群とされたものであることが認められる。しかし、右甲号証によると、それらは、①重い石積みが左足を横切る状況で九時間埋められていたもの、②崩壊した建物の下に六時間押さえ付けられていて、両足の破片で押された部分に裂傷及び挫傷を受けたもの、③梁によって一二時間肩、腕、大腿部を押さえ付けられていたもの、④崩壊した建物の中に八時間閉じ込められ、その間左大腿部を重い梁で押さえ付けられていたもの、⑤破壊された建物の破片の山の下に埋められ、救出するまで約一〇時間左足が鉄製ベッドと金属製の桁に押さえ付けられていたもの、⑥破片の山の下に約三時間閉じ込められ左の大腿部が重い梁で押さえ付けられていたものであることが認められ、いずれも崩壊した建物の下にあって手足に対し長時間強い圧力が加えられていたという共通した状況が認められるのであって、本件の政治の場合とは被害の態様において著しく異なるものといわなければならない。

また、〈書証番号略〉によっても、利尿期に死亡したと特定できるのは⑤のみであり、それも事故の五日後(六日目)であるから、特に政治の場合との類似性が著しいものということはできない。

血尿については、〈書証番号略〉に記載されたバイウォーターらの例の場合、発症時期が明らかなのは⑤の三日目だけであり、③は被災の翌日の尿に血液が含まれていたことが記述されているのみ、⑥は救出された直後の早朝に血尿が出たことが記述されているのみであり、その他の例については血液が出たことの明確な記述はない。したがって、政治の血尿の状況が発症の時期あるいは乏尿期との重なり具合においてバイウォーターの例と一致するとの控訴人の主張は根拠のないものである。

(二)  次に尾崎豊の例とは、〈書証番号略〉によると、昭和二七年に尾崎豊がイヌ(控訴人はウサギであるというが、右甲号証の記載によれば、導尿による尿採取に便利なため健康成熟イヌの雌を選んだことが明らかであり、体重が最も少ないものでも一一キログラムあることからしてもウサギであることはあり得ない。)に叩打ないし緊扼等により外傷を与えてショック症状を発生させ血清学的及び病理学的研究を行った一〇の実験例を指すものと認められる。しかし、右甲号証によると、これらの例は、約三〇〇回大腿筋を叩打して筋肉に軽度の挫滅を与えた(第一例)、右大腿根部を一五時間緊扼した(第三例)、右大腿筋群を叩打挫滅、更にその根部において緊扼を施し一五時間で解除した(第四例)等の例に見られるように、大腿部にきわめて強い打撃あるいは圧力を加え、その結果、大部分の例においてイヌは一時間以上興奮状態を続けあるいは泣き続けたほどであること、また、そのうち長時間観察を試みた四例(第一、第二、第三、第七例)においては、叩打ないし緊扼後間もなく乏尿ないし無尿となり、その後回復したこと、しかし第二例においては回復後全く無尿となったこと、また第五例では六時間後に全く無尿となって死亡したこと、その他は乏尿及び血尿の状態になったが回復せず短時間で死亡したか、又は全く無尿のまま短時間で死亡したものであことが認められる。そうすると、これらの例は、その受けた打撃あるいは圧力の程度において、政治の被害の状況と比べてきわめて強度であり、比較の対象として適当かどうか疑問であり、また尿の状態は、概ね無尿ないし乏尿になった点において共通するところはあるものの、全体の症状に類似性を認めるほどのものではないというべきである。したがって、尾崎の例との同一性をいう控訴人の主張は採用し難い。

(三)  控訴人は、政治の尿産生曲線が利尿期に死亡した圧挫症候群のものと同様に下の凸の一峰性の波形を描いていることをもその主張の根拠とする。そして一般に急性腎不全の場合の尿量の変化を線によって表すと右のような形状を描くことは、〈書証番号略〉により認めることができる。しかし、控訴人主張の政治の尿産生曲線(控訴人の平成三年一〇月二八日付準備書面添付図1、4、5、平成四年七月三一日付準備書面添付図6に表示のもの)は、その主張自体から明らかなように、時間(日数)の経過を三分の一に短縮したものであるから、それが他の圧挫症候群による死亡例の尿産生曲線とほぼ同一の傾向をしめすといっても、正確な対比ということはできない。控訴人は右三分の一に短縮した理由を種々主張するが、必ずしも根拠のあるものとはいえず、尿産生曲線の類似性をいう控訴人の主張は直ちに採用し難い。

(四)  そのほか、控訴人は、政治の場合、尿量七二〇ml以下の期間は一〇日間、六〇〇ml以下の期間は八日間、四〇〇ml以下の期間は五日間で、そのすべてにおいて、バイウォーターの死亡例の平均日数に比較して一日ないし数日長くその期間にさらされており、また乏尿期間の平均尿産生は二四〇mlで、利尿期に死亡した例の平均尿産生の二一一mlに近い値となっており、さらに尿産生異常値は三〇九〇mlで、バイウォーターが報告した死亡例のうち三例よりも重篤で、六例の平均三二一三mlに近い値となっていること、乏尿の発症期間は一四日目、消滅時期は二三日目、血尿期間は九日間であり、発症時期、消滅時期ともにバイウォーターの例と正確に重なっており、また血尿期間の全期間に対する割合は三〇パーセントで、バイウォーターの例の平均三一パーセントと全く等しいに近い値を示していること、一般的に利尿期に死亡する場合、尿量が最低を記録する当日ないしその前後の日に血尿が発症し、血尿は乏尿の消滅と同時に消滅する現象が認められるところ、政治はこの現象ないしパターンを正確に倣っていること等を挙げて、政治の症候が圧挫症候群に当てはまるものであることを主張する。右の指摘が一部当たっていることは否定できないが、〈書証番号略〉から明らかなように、バイウォーターらの報告においては、すべての例について毎日の尿の量及び状態の変化が記載されているわけではなく、記載のあるものも断片的であって(血尿については前記のとおり)、正確に一つの傾向を示すものとはいえないから、右主張を全面的に支持することはできない。

八浮腫については、診療録、看護記録に記載がなく、原審における薄医師の証言においても言及されていないが、原審における証人真下フミの証言によると、血尿が出たころにはむくみも出ていたことが認められる。また〈書証番号略〉によると、三月二六日以降収縮期血圧が一〇〇以下を記録することが多かったことが認められる。しかし、これらの点も、圧挫症候群と認めるために決定的な症候ということはできない。

以上のほか、控訴人がその主張の立証として提出する各種文献等の書証を検討しても、政治の死因を圧挫症候群であるとするには十分でないといわなければならない。

九ところで、薄医師は原審において証人として、四月二日に尿の量が一〇〇mlに減少したのは、腎の機能に障害が生じたというよりは、前立腺の肥大により尿が出にくくなったもので、看護記録(〈書証番号略〉)の四月三日の欄に、下腹部膨満あり、尿の流出不良、金属プジー挿入後流出良好との記載があることはそのことを示すものであると供述している。〈書証番号略〉に照らせば、政治が過去の病歴においてまた薄病院入院中に前立腺肥大との診断を受けたことはないことが明らかであるが、政治が高齢であったことに、金属ブジー挿入後尿の流出が良好になったという現象から推して、前立腺肥大を疑うことは根拠のないものとはいえない。控訴人は〈書証番号略〉の文献の記述に依拠して前立腺肥大の可能性はないとして争うが、これらに照らしても、前立腺肥大の可能性を全く否定することはできない。

一〇さきに認定したように、薄医師は、死亡診断書に政治の死因を急性肺炎を原因とする心不全であると記載している。

政治がパーキンソン病の薬を服用していたこと及び本件火災当時独力で歩行することができずほとんど寝たきりの状態であったことは、さきにみたとおりである。〈書証番号略〉によると、パーキンソン病の患者は、長い経過のうちには病状が進行し、漸次薬効が不十分になるか、副作用のための障害が現れるものがあり、日常生活動作が著しく障害され、全身的衰弱とともに、褥瘡、膀胱障害、肺炎などの合併症により死亡すること、歩行が不能となると、肺炎、尿路感染などで死亡すること、病気が進行した症例では嚥下障害もみられることが認められる。そして、政治が高齢で、前記認定のように三月二七日に急性肺炎にかかり心不全を生じ、また四月五日に食べ物を気道に詰まらせて呼吸困難となったことを合わせ考えると、同人が飲食物等の嚥下性ないし誤飲性の肺炎を起こし、そのため重篤な呼吸不全及び心不全を生じたことの可能性は十分考えられるところである。そうすると、四月一〇日早朝の突然の死亡を心不全によるものと判断し、その原因を急性肺炎とした薄医師の診断は一応肯認できると考えられる。同医師も、証言において、火災に遭ったショックやストレスが政治の健康に悪影響を及ぼしたであろうことを否定しているわけではないが、最も身近にいて治療に当たっていた医師の死因についての見方が前記のようなものであり、しかも他の考えられる原因として控訴人の主張する圧挫症候群が、本件に現れたあらゆる事情を考慮しても十分に根拠のあるものとまではいえないことからすると(前記のように急性腎不全発症の可能性は否定できないものの)、政治の死因は、同医師の診断どおり、急性肺炎による心不全であることの可能性が大きいというべきである。同医師の原審における証言によると、四月一〇日午前五時に政治の死亡を確認したのは当直医であり、薄医師ではないことが認められるが、そのことから直ちに四月一八日付の薄医師名の診断書が違法に作成されたとか、あるいはその内容が信用し得ないものであるということはできない。

以上、政治の年齢、本件火災に遭った際の状況、その後の症状の推移及び死亡直前の状態からすると、同人の死亡の原因としては、嚥下性肺炎その他呼吸不全、老衰等による突然の心不全の蓋然性が強い。本件火災による圧挫症候群がその原因であることについては、被害状況に関する客観的事実の裏付け及び症状の推移についての検査資料等がいかにも不足しており、結局これを積極的に肯認するに足りるだけの立証がないというほかない。なお、訴状添付の「事情説明」と題する書面はフミからの聴取及びフミの日記に基づいて作成したものであるというのであるが、それについての立証もなく、弁論の全趣旨として考慮する余地があるとしても、フミの原審における証言と異なる部分あるいはそこに現れていない部分が多く、全面的には採用し難いものである。

一一以上の次第で、控訴人の請求は理由がないからこれを棄却すべきであり、これと同旨の原判決は正当である。

よって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官丹宗朝子 裁判官新村正人 裁判官市川頼明)

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